Saturday, September 12, 2015

ネットカフェ難民と窓際族の方からのコメントを通じて感じた事

ネットカフェ難民
窓際族

美学に生きるというのが窓際族から出てくるとは意外だった。美に酔う人々は、窓際族のように社会に属している人々ではなく、幽玄的に生きるネットカフェ難民の方たちのことだと思っていたからだ。いずれにせよ、似ているというのは同じということではないことを指摘しつつ、両者の一体どこが似ていてどこが違うのかを分析していくことにする。

まず初めに現代の窓際族は「仕事をせずに給料を貰える窓際族は勝ち組」という考えを持ち、仕事をしないことで既存の社会の組織から自主的に外れていることは、まるで社会とのコミュニケーション遮断をしているかのようであるに対し、 ネットカフェ難民はインターネットを使用することで、一応社会とのコミュニケーションを保とうとしているが、匿名でコミュニケーションをとっている以上それは仮想のものでしかないのではないだろうか。では日本人のコミュニケーション不信の本質とは一体何なのだろう。

コミュニケーションをしていない人々(窓際族)は死人がコミュニケーションをとらないのと同様、死んでいる状態に近いと言えるだろう。また、多くの人々から認識されていない人々(ネットカフェ難民)は死んでいるように見えて実は隠れて生きているのだ。つまり、生きながらにして死んでいる、もしくは死んだように生きているという両者に分けられ、その考え方は幽玄という概念と似ている。幽玄とは能で主に使われるもので、正反対の二つのもの、特に生と死が同時に存在する状態のことだ。日本人は古来から幽玄を好む傾向にあるので、現代の窓際族とネットカフェ難民の存在も実はとても日本人らしい現象だったのだ。また、幽玄が一つの美学である以上、窓際族が美学を感じているのも納得できることであり、ネットカフェ難民も人々の深層心理が現れるネット世界を牛耳っていると考えれば、彼らの存在自体も美なのかもしれない。

Monday, August 31, 2015

ネットカフェ難民と窓際族の両者から連絡があった

地底人と地上人の戦いを彷彿させる、なるほどなコメントでした。次回は僕の本意を書きます。

Saturday, August 15, 2015

ネットカフェ難民は窓際族と同じではないだろうか。

世界には実に様々な地域で難民と呼ばれる人たちが彷徨っているが、日本にも独特な形の難民がいる。ネットカフェ難民だ。彼等はその名の通り難民のように行くあてがなく、ネットカフェで生活している人達である。日本全体でネットカフェ難民は84万人いると言われているが、この「ネットカフェ難民」と呼ばれる人達はどのような生活を送っているのだろうか。

ネットカフェ難民の一日

ネットカフェ難民の一日はあまり良いものとは言えない。彼らは決まった仕事がないので、人によってはその日の仕事を探すことから一日が始まる。ただそれも全員ではない。仕事すらせずに一日中過ごしている人々も少なくないと言える。ここで窓際族のことが頭の中をよぎった。窓際族も一日中仕事をせずに過ごしている人たちなのでネットカフェ難民は窓際族と実は同じようなものである、と言えるのではないだろうか。むしろ、窓際族の方が社会に属しているというだけネットカフェ難民より上位の立場にいると言えるのではないだろうか。皆さんはどう思うかコメントをいただけるとありがたい。