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| ネットカフェ難民 |
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| 窓際族 |
美学に生きるというのが窓際族から出てくるとは意外だった。美に酔う人々は、窓際族のように社会に属している人々ではなく、幽玄的に生きるネットカフェ難民の方たちのことだと思っていたからだ。いずれにせよ、似ているというのは同じということではないことを指摘しつつ、両者の一体どこが似ていてどこが違うのかを分析していくことにする。
まず初めに現代の窓際族は「仕事をせずに給料を貰える窓際族は勝ち組」という考えを持ち、仕事をしないことで既存の社会の組織から自主的に外れていることは、まるで社会とのコミュニケーション遮断をしているかのようであるに対し、 ネットカフェ難民はインターネットを使用することで、一応社会とのコミュニケーションを保とうとしているが、匿名でコミュニケーションをとっている以上それは仮想のものでしかないのではないだろうか。では日本人のコミュニケーション不信の本質とは一体何なのだろう。
コミュニケーションをしていない人々(窓際族)は死人がコミュニケーションをとらないのと同様、死んでいる状態に近いと言えるだろう。また、多くの人々から認識されていない人々(ネットカフェ難民)は死んでいるように見えて実は隠れて生きているのだ。つまり、生きながらにして死んでいる、もしくは死んだように生きているという両者に分けられ、その考え方は幽玄という概念と似ている。幽玄とは能で主に使われるもので、正反対の二つのもの、特に生と死が同時に存在する状態のことだ。日本人は古来から幽玄を好む傾向にあるので、現代の窓際族とネットカフェ難民の存在も実はとても日本人らしい現象だったのだ。また、幽玄が一つの美学である以上、窓際族が美学を感じているのも納得できることであり、ネットカフェ難民も人々の深層心理が現れるネット世界を牛耳っていると考えれば、彼らの存在自体も美なのかもしれない。

